Tà Dương _ 9

 

 それから毎日、お家へ人夫が来て、引越しの荷ごしらえがはじまった。和田の叔父さまも、やって来られて、売り払うものは売り払うようにそれぞれ手配をして下さった。私は女中のお君と二人で、衣類整理をしたり、がらくた庭先で燃やしたりしていそがしい思いをしていたが、お母さまは、少しも整理のお手伝いも、お指図もなさらず、毎日お部屋で、なんとなく、ぐずぐずしていらっしゃるのである。

「どうなさったの? 伊豆へ行きたくなくなったの?」
 と思い切って、少しきつくお訊ねしても、

「いいえ」
 とぼんやりしたお顔でお答えになるだけであった。

 十日ばかりして、整理が出来上った。私は、夕方お君と二人で、紙くずを庭先で燃やしていると、お母さまも、お部屋から出ていらして、縁側にお立ちになって黙って私たちの焚火を見ていらした。灰色みたいな寒い西風吹いてが低く地を這っていて、私は、ふとお母さまの顔を見上げ、お母さまのお顔色が、いままで見たこともなかったくらいに悪いのにびっくりして、
「お母さま! お顔色がお悪いわ」
 と叫ぶと、お母さまは薄くお笑いになり、

「なんでもないの」
 とおっしゃって、そっとまたお部屋におはいりになった。

 その夜、お蒲団はもう荷造りをすましてしまったので、お君は二階の洋間のソファに、お母さまと私は、お母さまのお部屋に、お隣りからお借りした一組のお蒲団をひいて、二人一緒にやすんだ。

 お母さまは、おや? と思ったくらいに老けた 弱々しいお声で、
「かず子がいるから、かず子がいてくれるから、私は伊豆へ行くのですよ。かず子がいてくれるから」
 と意外な事をおっしゃった。

 私は、どきんとして、
「かず子がいなかったら?」
 と思わずたずねた。

 お母さまは、急にお泣きになって、
「死んだほうがよいのです。お父さまの亡くなったこの家で、お母さまも、死んでしまいたいのよ」
 と、とぎれとぎれにおっしゃって、いよいよはげしくお泣きになった。

 

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