私は小さい時から、朝ごはんがおいしくなく、十時頃にならなければ、おなかがすかないので、その時も、スウプだけはどうやらすましたけれども、食べるのがたいぎで、おむすびをお皿に載せて、それにお箸を突込み、ぐしゃぐしゃにこわして、それから、その一かけらをお箸でつまみ上げ、お母さまがスウプを召し上る時のスプウンみたいに、お箸をお口と直角にして、まるで 小鳥に餌をやるような工合いにお口に押し込み、のろのろといただいているうちに、お母さまはもうお食事を全部すましてしまって、そっとお立ちになり、朝日の当っている 壁にお背中をもたせかけ、しばらく 黙って私のお食事の仕方を見ていらして、
「かず子は、まだ、駄目なのね。朝御飯が一番おいしくなるようにならなければ」
とおっしゃった。
「お母さまは? おいしいの?」
「そりゃもう。私は病人じゃないもの」
「かず子だって、病人じゃないわ」
「だめ、だめ」
お母さまは、淋しそうに笑って首を振った。
私は五年前に、肺病という事になって、寝込んだ事があったけれども、あれは、わがまま病だったという事を私は知っている。けれども、お母さまのこないだの御病気は、あれこそ本当に心配な、哀しい御病気だった。だのに、お母さまは、私の事ばかり心配していらっしゃる。
「あ」
と私が言った。
「なに?」
とこんどは、お母さまのほうでたずねる。
顔を見合せ、何か、すっかり わかり合ったものを感じて、うふふと私が笑うと、お母さまも、にっこりお笑いになった。
何か、たまらない 恥ずかしい思いに襲われた時に、あの奇妙な、あ、という幽かな叫び声が出るものなのだ。私の胸に、いま出し抜けにふうっと、六年前の私の離婚の時の事が色あざやかに思い浮んで来て、たまらなくなり、思わず、あ、と言ってしまったのだが、お母さまの場合は、どうなのだろう。まさかお母さまに、私のような恥ずかしい過去があるわけは無し、いや、それとも、何か。
「お母さまも、さっき、何かお思い出しになったのでしょう? どんな事?」
「忘れたわ」
「私の事?」
「いいえ」
「直治の事?」
「そう」
と言いかけて、首をかしげ、
「かも知れないわ」
とおっしゃった。