Tà Dương _ 2

スウプのいただきかたにしても、私たちなら、にすこしうつむき、そうしてスプウンを横に持ってスウプをすくい、スプウンを横にしたまま口元運んでいただくのだけれども、お母さまは左手のお指軽くテーブルのかけて上体かがめる事も無く、お顔をしゃんと挙げて、お皿をろくに見もせずスプウンを横にしてさっと掬って、それから、のように、とでも形容したいくらいに軽く鮮やかにスプウンをお口と直角になるように持ち運んで、スプウンの尖端から、スウプをお唇のあいだに流し込むのである。そうして、無心そうにあちこち 傍見などなさりながら、ひらりひらりと、まるで小さなのようにスプウンをあつかい、スウプを一滴おこぼしになる事も無いし、吸うもお皿の音も、ちっともお立てにならぬのだ。それは所謂いわゆる正式礼法にかなったいただき方では無いかも知れないけれども、私の目には、とても可愛かわいらしく、それこそほんものみたいに見える。また、事実お飲物は、口に流し込むようにしていただいたほうが、不思議なくらいにおいしいものだ。けれども、私は直治の言うような高等御乞食なのだから、お母さまのようにあんなに軽く無雑作にスプウンをあやつる事が出来ず仕方なくあきらめて、お皿の上にうつむき、所謂正式礼法どおりの陰気ないただき方をしているのである。

 スウプに限らず、お母さまの食事のいただき方は、すこぶ礼法にはずれている。お肉が出ると、ナイフとフオクで、さっさと全部小さく切りわけてしまって、それからナイフを捨て、フオクを右手持ちかえ、その一きれ一きれをフオクに刺してゆっくり楽しそう召し上がっていらっしゃる。また、骨つきのチキンなど、私たちがお皿を鳴らさずに骨から肉を切りはなすのに苦心している時、お母さまは、平気ひょいと指先で骨のところを持ち上げ、お口で骨と肉をはなして澄ましていらっしゃる。そんな野蛮な仕草も、お母さまがなさると、可愛らしいばかりか、へんにエロチックにさえ見えるのだから、さすがにほんものは違ったものである。骨つきのチキンの場合だけでなく、お母さまは、ランチのおさいのハムやソセージなども、ひょいと指先でつまんで召し上る事さえ時たまある。
おむすびが、どうしておいしいのだか、知っていますか。あれはね、人間の指で握りしめて作るからですよ」
 とおっしゃった事もある。

 本当に、手でたべたら、おいしいだろうな、と私も思う事があるけれど、私のような高等御乞食が、下手に真似してそれをやったら、それこそほんものの乞食のになってしまいそうな気もするので我慢している。

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